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2007年10月

2007年10月23日 (火)

オーストラリア旅行記 -前編-

 英会話教室で知り合った友人が、オーストラリアへ半年間の語学留学へ旅立ち、私はいつオーストラリアへ行こうか、と考えていました。

 年末は毎年忙しかったので(年賀状印刷で)2月くらいに行けるかなぁーと思っていましたが、なかなか仕事のメドが立たず、結局3月の中旬に行くことになりました。

2  まず、「オーストラリアの歩き方」という本を購入し、下調べをしました。シドニーの空港に着いた後、友人のいるアデレードという街(シドニーから西の方角)へ向かうにはバスで国内線の空港に移動し、そこからまた飛行機に乗らなければいけなかったのです。

日本でいえば成田国際空港から羽田空港へ移動するのと一緒です。

 鹿児島では日本円をオーストラリアドルには換えられなかったため、トラベラーズチェックを購入し、シドニーの空港内にある銀行でトラベラーズチェックをオーストラリアドルに換えないとバスには乗れません。

ツアーではなく一人で行くため、シドニーの空港のどこに銀行があるのかを把握しておく必要がありました。その本には、空港内の施設が丁寧に分かりやすく書いてありました。

 オーストラリアは日本と季節が逆になります。だから、日本のクリスマスは寒い冬ですが、オーストラリアでは暑い夏にサンタさんがプレゼントを配るのです。

 1990年3月16日、成田からシドニーへ向けいよいよ出発です。シドニーまでは約7時間。日本との時差は1時間ですので、ほとんど変わらないです。

 夜9時何分かの飛行機に乗りました。もちろんエコノミークラスです。私の座席の周りは某生命保険会社の研修旅行の団体さんで埋まっていて、あきらかに自分たちとは違うと思われる私に話しかけてきました。

 「あなたは一人で行くの?誰も連れはいないの?」

と。見た感じ、足が悪いし、一人で大丈夫かしら?と心配してくれたのだと思います。

 「はい、一人です。シドニーから飛行機を乗り継いでアデレードという街の友達を訪ねていきます。」

 「へぇー。大丈夫なの?英語とか分かるの?」

 「一応、英会話教室に通ってましたので、少しは話せます。」

 「そうなのー。感心だねー、えらいねー」

と、これが右横に座ってた人との会話で、それからトイレに立ち、戻ってくると今度は通路を挟んだ座席に座っていた人からも同じような質問をされ、同じように応えるという場面がありました。

 そして眠りから覚め窓の外を見ると、オーストラリア特有の赤い大地が眼下に広がっていました。

 「ついに!キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーヽ(^o^)丿」

 飛行機から降り、入国審査を受けるため並んで待っていると、私の後ろに並んでいた新婚旅行らしいカップルの男の人が

 「あなたは一人で来たの?」

と。またもや同じ質問です。やっぱりみんな“足が悪いのに一人で大丈夫なのかなぁ?”という思いがあるのでしょう。

 ちょっと話はそれますが、私が両親に今回のオーストラリアに一人で行くことを告げた時の反応は

 「えぇ、そうやぁ」

の一言でした。一人で行くって言ったら少しは反対するかなぁ…と思ってた私は見事に肩すかしをくらったのです。

 入国審査が終わると急いで(といっても走れませんが…)空港内の銀行に行き、T/Cをオーストラリアドルに換え、バス乗り場へと向かいました。国内線の空港までは5分ほどでした。

 さあ、いよいよここからが正念場です。アデレード行きの搭乗手続きを英語でしなければなりません。気合を入れ、チケットを片手にカウンターへ向かいました。何とか手続きをすませ、ホッとして手荷物のバッグの整理をしていたら、係りの人が近寄ってきて早く飛行機に乗ってください、みたいなことを言いました。ホッとして時計を見ていなかったので出発時刻が迫っていることに気づかなかったのです。あわてて飛行機に乗り込み、周りを見たら、外人・・・ガイジン・・・ばかりです。(当たり前ですが…)

 シドニーとアデレード間には時差があります。前もって本で調べて分かっていたのですが、機内アナウンスで“これからアデレードへ向かいます。時計の針を30分早くしてください”と放送があり、(うん、何とか聞き取れたな)と自己満足です。

 アデレードの空港に着き、タラップを降りていくと下でお客様のお見送りをしていたスチュワーデスの方が

 「誰かお迎えは来てますか?」

と。ひょっとしてワタシ……子どもと思われてる?? まぁ背も低いし(142cm)童顔だしなぁー。外国の人から見たら子どもと思っても仕方ないかも……

でも、30代前半なんですけどぉー(^_^;)

 「Have a  nice  trip!」

 「Thanks」

と簡単な会話をスチュワーデスさんと交わし、預けた荷物が出てくるのを待っているとき友人の姿を発見。

 「久しぶりー(^^♪ お言葉に甘えて来ちゃったぁ」

 「よく来たね~」

と再会を喜んでいました。が、しかし……待てども待てども私の預けた荷物が出てきません(@_@;)

 そこで友人が係の人に尋ね調べてもらったところ、別の飛行機に乗っていってしまったとのこと。後でアパートまで届けますのでと言われたみたいで、友人に迎えに来てもらってて良かったーと思いました。だって、荷物が出てこないなんて予想外の出来事ですもの。(*_*)

 空港を出てバスで街中に行き、友人は語学留学のため日中は案内ができないので、観光案内所でバスツアーの申し込みをしました。友人の借りていたアパートまではバスで20分くらいでしたが、その間に見る町の景色は(あぁー、外国に来たんだー)と実感させてくれました。国土が広いせいか、ほとんどの家が平屋で、敷地も広かったです。2階建ての家はほとんどと言っていいほど見かけませんでした。車は日本と同じ左側通行です。

 面白かったのは、バスに乗っていて次の停留所で降りたい時、日本だとボタンを押しますよね。でも、ボタンらしきものが見当たりません。そのかわり、1本のヒモがバスの中にぐるっと張り巡らせてあり、そのヒモの所々に鈴がつけてあって、ヒモを引っ張ると鈴が鳴り降りる合図になっているのです。友人が

 「次降りるから、そのヒモを引っ張ってみて」

と言うので引っ張ると“チリン、チリン”と優しい音が……貴重な体験でした(*^_^*)

 アパートに着いてしばらくすると、空港から私の荷物が届きました。良かったです。

 次の日からアデレードの観光を楽しみました。1日目の観光バスには日本人は私だけでした。バスの運転手が運転しながら観光の説明をするのですが、早口だったため所々聞き取れる単語をつないで(ふーん、そうかぁ)と分かってるようなフリをしてました。でも、目的地に着いて集合時間を言うだろうなぁという時は耳をダンボにして聞き逃すまいと必死でした。(~_~;)

 うれしかったのは、集合時間にバスに戻ってきてバスのステップを上がろうとした時、一番前の座席に座っていた初老の男性がスッと手を差し出してくれたことです。その差し出し方が自然なんですよねぇー。(さっすがー)

 2日目は京都から来たという19歳の女の子がいました。その女の子ともう一人、自分の息子さんが日本人の女性と結婚して、今は二人とも日本に住んでいるというオーストラリアの隣、ニュージーランドから観光に来ていた女性とも仲良くなり、3人で一緒にご飯を食べたり、観光地を歩いたりしました。

 そして3日目の朝、7時に起きてテレビをつけると、時刻が1時間遅いのです。7時に起きたのにまだ6時となっていました。友人が

 「あと1時間は寝れるよ。サマータイムの関係だからね」

と。そういうのがあるんだーと思いながら(1時間もうけ)とうれしがって寝ました。

 でも、このサマータイムが後で起こる大ハプニングの原因となるなんて、このときは知る由もなかったのです。

2007年10月 9日 (火)

「どうして?変な歩き方?」

 私はよく街へ出かけます。映画、ショッピング、美容院etc。

 友人と一緒の時もあれば、一人で出かける時もあります。

 私が“ヒョコタン、ヒョコタン”と歩いていると、いろんな人が私を追い越していきます。(歩くのが遅いから当然ですが…)

 その中に、お母さんに手を引かれた子どももよく見かけます。そして、私を追い越した後、ほとんどの子どもは振り返ります。

 “あれ?なんか変な歩き方だなぁ”

と感じているのでしょう。初めて見たら不思議で、振り返って確かめたい気持ちに駆られるのでしょう。その気持ちはよく分かります。私だって何か珍しいものとか珍しいことがあると見たいですもの(^_-)-☆

 だから、振り返って見られても

 “しょうがないよねぇ~、珍しいものねぇ~”

と思って最初の2,3回はガマンします。でも、しつこく何回も振り返られるとさすがに

 “もういいでしょ!”

とだんだん腹が立ってきます。(人間ができてないんですね)

 で、その時どうするかというと、じっとその子の目を見るのです。すると、その子はさっと前を向きます。気持ちのどこかで悪いことをしてる、という思いがあるのでしょうか。

 振り返る子どもの中には、親に質問する子もいます。

 「ねぇ、どうしてあの人はあんな変な歩き方をしてるの?」

たいていの親御さんは

 「見るんじゃないの!」

と無理やり子どもの手を引っ張り、急ぎ足でその場を離れていきます。

これもしょうがないと言えばしょうがないですよね。説明しようにも分からない人が多いからです。私がこれまで体験した中で一番腹が立ち、傷ついた言葉があります。

 「あの人はね、悪いことをしたからああなったのよ。だからボクも悪いことをしたらああなるからね」

 私も人間だから、悪いことの一つや二つ、三つ、四つ……したことがあります。でも、足が悪いことをそんな風に言われたら……悲しかったです(・.・;)

 私を何回も見かけることのある子(同じアパートに住んでたとか通勤の途中で会う子)の中には、直接聞いてくる子もいました。

 「ねぇー、どうしてそんな変な歩き方してるの?足が痛いの?」

 「足は痛くはないけど、病気なんだよ。」

 「ふ~ん、病気なのに寝てなくていいの?

 「ふふっ、そうねぇー、病気だったら寝てないといけないね。でもね、頭の中の足を動かしなさいと命令するところが壊れただけだから、寝てなくても大丈夫なのよ。」

 「へぇー、そうなんだぁ。大変だね。」

というようなやり取りをします。

 私としては、こんな風に直接聞いてくれた方がいいです。私の説明でどれだけ理解してもらえるか分かりませんが、世の中にはそういう人もいるんだ、ということを心のどこかに留めておいてくれたらと願います。

 私には甥っ子も姪っ子もいます。その子達も小さい頃は

 「〇〇〇ねえちゃんのまねー」(おばちゃんではなくねえちゃんと呼ばれてました(*^_^*)

と言いながら歩く真似をしました。私も小さい時はしょうがないか、と許していましたが、小学校に入ってからも真似をしたりすると、すごく怒りました。

 「あんたはねぇー、まだそんなことをするかー。いい加減にしなさいよぉ!真似される方の身にもなりなさい!」

と。普段、滅多なことでないと怒らない私がそんな風に怒ると、

 「ご、ごめんなさい」

と、すぐ謝りました。

 障がいを持っている私が身近にいることが、甥っ子姪っ子にどんな影響があるのか分かりませんが、成長していく過程で、障がいを持っていても自分たちと変わらないんだ、ということを分かってくれたらいいなと思います。